発明を聞いて初めて知る、知られざる仕事の尊さ、大変さ
日々、さまざまな発明に触れる機会があります。
ユニークなアイデアや巧みな仕組みに
「面白いな」
と感じる一方で、正直に言えば
「これは何の役に立つのだろうか?」
と、疑問に思ってしまうこともあります。
ところが、その発明が生まれた背景をうかがうと、一転して見方が変わることがあります。
「これが、この仕事のこの悩みを解決するんです」
「こういう場面では、これがあると本当に助かるんです」
そう聞いて初めて、その仕事の現場にどれほどの苦労があるかを知るのです。
世の中には、本当にたくさんの仕事があります。
けれど、私たちがそのすべてを理解しているわけではありません。
自分が直接関わったことのない職業については、どうしてもテレビや本、人づてに聞いた話の範囲で想像するしかありません。
発明に接する中で、「この仕事が、こんなにも神経をすり減らす細かな作業だったとは」
「こんな重労働が、今の社会を支えていたのか」
「危険と隣り合わせの現場が、実はすぐそばにあったんだ」
――そんな驚きを、何度も味わってきました。
名前も顔も知らない誰かが、今日も社会のどこかで働いています。
そうした方々の仕事の現実に、私たちはふれることなく日々を過ごしています。
ほとんどの人は知らない、知る機会もない仕事。
テレビのドラマにもならない、だけど、人々が生活するうえで、欠かせない仕事というのがあります。
その方々が居なければ、快適な生活は送れないどころか、健康すら保てない、そんな仕事。
だけど、ほとんどの人は知らない。
それでも、その人たちの努力のおかげで、私たちは安心して暮らし、健康を保ち、笑顔で過ごすことができているのです。
ある発明が、そうした現場をほんの少しでも楽にするかもしれない。
いいえ、「ほんの少し」どころではないかもしれません。
ある発明によって、大きな負担が減り、誰かの毎日が救われる――そんなことを感じる瞬間があります。
発明を通じて、私は仕事の多様さと、その尊さを学ぶときがあります。
そして、自分一人で生きているのではないということを、改めて感じます。
誰かの仕事を、誰かの発明が支え、その発明がまた、誰かの命や生活を支える。
そうやって、私たちはつながっているのだと思います。