発明は尽きることがあるのか
ある日、知り合いの小学生の息子さんとお話をしていたときのことです。
「弁理士って何をする人なの?」
と聞かれたので、
「新しいアイデアや発明を、きちんと権利として守る仕事だよ」
と、いろいろ例を挙げながら、なるべく分かりやすく説明していました。
すると彼が、少し考えてからこんなことを言いました。
「でもさ、もう発明って全部出尽くしたんじゃない?スマホとかあれば、何でもできるでしょ?」
その素朴な言葉に、私は思わず笑ってしまいました。そして「確かにそう思えるほど、すごいものがたくさん生まれてきたよね。でもね、発明って、まだまだ終わらないと思うよ」と答えました。
そのやりとりが、ふとした拍子に心に残り、「発明は尽きるのか?」という問いが、自分自身への問いとしてずっと響いています。
発明は“必要”から生まれる
そもそも発明とは、何もないところから突然ひらめくものではなく、たいていは「困ったな」「もっとこうだったらいいのに」という“必要”から生まれるのだと思います。
今、日常的に使っているものの多くも、もとはといえば「不便だな」と誰かが感じたことから始まったものです。
例えば、雨の日に傘を差しても荷物が濡れてしまう不満から生まれた、自動で開く傘や手ぶら傘。高齢者の見守りをしたいという想いから生まれた、センサー付きの電球や家電。
つまり、人の暮らしに“不便”がある限り、発明の種は尽きることがありません。
小さな工夫も立派な発明
「発明」と聞くと、ノーベル賞を取るようなすごい技術を思い浮かべるかもしれませんが、もっと身近な「小さな改良」もまた立派な発明です。
例えば、コンビニのおにぎり。
あの「のりとご飯が別になっていて、開けるときにくっつく」仕組みは、清潔で、食感も保てるという素晴らしい発明です。
ペットボトルのキャップにあるギザギザも、手が滑らないようにという小さな配慮から生まれたもの。そうした小さな発見や工夫が、私たちの日常を静かに支えています。
自然は発明の先生
人間だけが発明を生み出しているわけではありません。自然の中には、私たちがまだ見ぬヒントが無数にあります。
例えば、ハスの葉には水をはじく性質があり、これを応用して作られたのが「ロータス効果」を持つ防水素材です。カワセミのくちばしの形状を参考にして、新幹線の騒音を抑えるデザインが生まれたこともあります。
自然界は、発明のヒントの宝庫なのです。まだ知られていない原理や構造は、これからも新しい発明を導いてくれるでしょう。
進化が、新しい課題を生む
技術が進めば、「もう十分では?」と思いたくなることもあります。しかし、技術の進化はまた新たな課題を生み出します。
スマートフォンが登場したことで、便利さは大きく向上しましたが、その一方で、電池の持ち、画面のブルーライト、プライバシーの保護など、新しい問題もたくさん生まれました。
それらの問題を解決するために、また新たな発明が求められるのです。
つまり、発明が進むこと自体が、次の発明の呼び水になるとも言えます。
子どもの「なんで?」が原点
最後に、冒頭で紹介した小学生の男の子との会話に戻ります。
彼の「発明ってもう全部出たんじゃない?」という問いかけは、大人の目線では見過ごしがちな視点を教えてくれました。
でも、そのような「なんで?」「どうして?」という素直な疑問こそが、発明の一番の出発点なのかもしれません。
発明は、尽きることがあるのか。
私は、「尽きることはない」と思っています。なぜなら、私たちの暮らしには、まだまだ課題や不便があり、自然界にはまだまだ未知があり、人の心の中には「もっと良くしたい」という気持ちがあるからです。
そしてその気持ちは、たとえ時代が変わっても、世代が変わっても、きっと変わらないのだろうと思います。
だからこそ、これからも、静かに、真摯に、「必要」から生まれる発明を大切にしていきたい。
そう感じるのです。