人工乳首事件:特許出願における国内優先権の落とし穴
1. はじめに
特許出願を行う際、国内優先権制度を活用することは珍しくありません。この制度は、先の出願(第一の出願)の内容を基に、一定期間内に後の出願(第二の出願)を行うことで、特許の取得をより有利に進めるための仕組みです。しかし、この国内優先権制度には細かなルールがあり、適切に活用しなければ意図しない不利益を被ることがあります。
その代表的な事例の一つとして、「人工乳首事件」が挙げられます。この事件は、国内優先権を主張した後の出願に新しい技術的事項を追加したことで、特許権の有効性が争われたケースです。本記事では、本件の概要、争点、裁判所の判断、そしてこの事件から得られる教訓について詳しく解説します。
2. 人工乳首事件の概要
本件の当事者であるピジョン株式会社(以下、「ピジョン社」)は、赤ちゃん用の哺乳瓶に取り付ける「人工乳首」に関する発明を開発しました。ピジョン社は、この発明について1998年10月20日に特許出願(以下、「先の出願」)を行いました。その後、1999年10月8日に、この発明に関する新たな実施例を追加した特許出願(以下、「後の出願」)を行い、国内優先権を主張しました。
この後の出願では、先の出願にはなかった「伸長部が螺旋状である」という新たな実施例が追加されていました。しかし、特許庁はこの出願に対し、先の出願に基づく優先権が一部認められないとの判断を下しました。これに対して、ピジョン社は裁判所に提訴し、その適法性が争われました。
3. 争点
本事件の主な争点は、次の2点に集約されます。
- 後の出願に追加された「伸長部が螺旋状である」という技術的事項が、先の出願の当初明細書等に記載された技術的事項の範囲を超えているか
- 優先権主張の効果が後の出願の全体、または一部に適用されるか
この争点をめぐり、裁判所は慎重な審理を行いました。
4. 裁判所の判断
東京高等裁判所は、本件に関し次のような判断を下しました。
- 技術的事項の範囲超過について
- 後の出願で追加された「伸長部が螺旋状である」という実施例は、先の出願の明細書には記載がなかった。
- したがって、この部分は先の出願に基づく国内優先権の範囲外であると判断された。
- 優先権主張の効果について
- 優先権の主張が認められるのは、先の出願の当初明細書等に記載された技術的事項の範囲内にある部分に限られる。
- 先の出願に記載のない新たな事項が追加された場合、それに関しては優先権の効果が及ばない。
- そのため、後の出願の請求項1の一部については、優先権の効果が認められないと判断された。
この結果、ピジョン社の後の出願の一部は拒絶されることとなりました。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/799/010799_hanrei.pdf?utm_source=chatgpt.com
5. この事件から得られる教訓
人工乳首事件は、特許出願における国内優先権の運用において、以下の点を十分に考慮する必要があることを示しています。
① 先の出願を充実させることの重要性
本事件では、先の出願に「伸長部が螺旋状である」という記載がなかったことが問題となりました。したがって、特許出願を行う際には、可能な限り広範な実施例を記載し、将来的な追加要素に備えることが重要です。
② 後の出願での追加事項のリスク
後の出願で新しい技術的事項を追加することは、国内優先権の適用範囲外となる可能性があります。そのため、後の出願を行う際には、追加する技術的事項が先の出願の記載内容に含まれているか慎重に確認する必要があります。
③ 別出願としての検討
もし新しい技術的事項を追加する必要がある場合、国内優先権を主張せずに新たな独立した出願として提出することも一つの選択肢です。こうすることで、後の出願の優先権が否定されるリスクを回避できます。
④ 専門家との相談の重要性
国内優先権を主張するかどうか、またどのように出願を組み立てるべきかは、専門的な知識が必要です。したがって、特許出願を行う際には、専門の弁理士や特許事務所と相談しながら慎重に進めることをお勧めします。
6. まとめ
人工乳首事件は、国内優先権制度の運用に関する重要な判例として、多くの特許実務者にとって参考となる事例です。本件では、後の出願における新たな技術的事項の追加が、優先権主張の適用範囲を超えていると判断されました。
この事件から得られる教訓として、特許出願の初期段階で広範な実施例を記載すること、後の出願で追加する事項の範囲を慎重に検討することが挙げられます。また、特許戦略の立案に際しては、弁理士などの専門家と十分に相談することが不可欠です。
特許制度を適切に活用し、自社の技術を最大限に保護するためには、制度の詳細を正しく理解し、適切な戦略を立てることが求められます。